2017年6月2日

新井 崇久監督インタビュー

 

《部員4名から始まった野球部~創部からリーグ戦初優勝までの軌跡》


学校法人 共栄学園に四年制大学が創設されたのは、2001年。野球部が創部されたのは、翌年の2002年の秋であった。

新井 崇久監督は、2003年から共栄大学監督に就任。野球部の立ち上げと、東京新大学野球連盟への加盟、すべてを任された。

 

就任当時の部員は4名。練習場所も、道具もユニフォームも何も無い状態からのスタートだった。グラウンドには、ネットも何も無く、いわゆる“原っぱ”だった、と新井監督は当時を振り返る。時には、ゴルフ場からネットをもらってきて、ボールが飛ばないように囲って、練習をした。

2003年に新入生が入り、部員が15名になったところで、東京新大学野球連盟に加盟。バックネットが整備され、結果とともに、ベンチ、外野フェンス、ブルペンなどが整い、“原っぱ”は徐々に“野球場”へと変わっていった。

 

2006年春に1部に昇格。そこから、リーグ戦初優勝まで、10年の時が経った。昨年、2016年春に勝ち点5の完全優勝でリーグ戦を制し、第65回全日本大学野球選手権大会に出場した。その効果もあり、今年の新入生は54名。現在の部員数は120名を超え、大所帯となった。

 

部員4名から始まった野球部。ここまで選手が集まるようになった理由について、新井監督はこう語った。「母校の日本体育大学出身者が監督を務める高校から多くの選手が入部してくれている。選手には、挨拶・礼儀など、厳しく指導をしているため、そういった日本体育大学の教えを理解して、純粋に野球が好きな子たちが集まってくれているので、本当にありがたいです」

 

《チーム力で掴み取った春季リーグ戦優勝》


今季リーグ戦において、勝ち点5で優勝を決めた共栄大学。しかし、ベストナインに選ばれた選手は実は、一人もいない。

昨年ベストナインに5名が選ばれたチームと比べて、今年のチームは圧倒的に力が無いと新井監督は感じていた。レギュラーは一人もいない。誰がメンバーに入っても、誰が試合に出ても変わらない戦力で試合をしよう、というテーマでチーム作りをしてきた。

そのため、春季リーグ戦では毎回スタメンを変え、毎回打順を変え、試合に臨んだ。時には、野手全員を試合に出場させた。

 

その日に調子の良い選手を起用する、という方針のもと戦うことにより、選手は自然といつでも試合に出られる準備をするようになり、モチベーションも上がった。その結果、毎回違うヒーローが生まれた。まさに、チーム力で闘ってきた中での、優勝だった。

「弱いチームなんだから、とにかく一生懸命やろう」と選手に話してきた新井監督だったが、創価大学戦に送りだすときだけは、違った。その日は「自身を持っていけ」と選手に話した。1戦目に勝利したとき、初めて“優勝”の二文字を意識した。

 

創価大学戦では、エースの清水投手(樹徳=2年)が今季リーグ戦の不調を吹き飛ばすかのように奮闘し、2年連続となる全国大会への切符を掴んだ。

 

《昨年の全日本大学野球選手権を振り返って》


昨年、春季リーグ戦で初優勝し、初めて出場した全日本大学野球選手権。当時を振り返り、「選手権に出ることを目標にしたまま、試合に臨んでしまい、調整不足だった」と話す新井監督。早めに東京ドーム入りしたものの、球場の雰囲気に呑まれてしまい、緊張がほぐれないまま、あっという間に出番はやってきた。

 

試合直前、グラウンドでの練習では選手は戸惑いの連続だった。いつもと違い、アップやキャッチボールができる時間は短い。そして、戸惑いの大きな要因は、東京ドーム独特の構造にあった。東京ドームでは、天井の色とボールの色が重なり打球が見えにくくなる。「見えないとは聞いていたが、予想以上に見えなかった。」新井監督も初めての経験に動揺したという。また、気圧の関係で普段よりも打球が伸びることにも驚いた。

 

試合前のノックでは、誰ひとり外野フライを捕球することができないまま、試合は始まった。

 

初回、先頭打者の長谷川選手のホームランでチームは一時勢いづいたかに見えた。しかし、やはり緊張から普段通りにプレーすることは難しく、エラーが続き、逆転を許してしまった。「知らないうちに試合が始まり、知らないうちに試合が終わってしまったような感覚だった」新井監督は、当時の悔しさを語る。

 

その悔しさから、今年は「優勝して全国に出ようではなく、全国で勝とう」と常に選手に伝えてきた。優勝決定後も一時は喜んだが、新井監督はすぐに次を見据えていた。

今回の初戦は6月5日(月)。昨年と同じく東京ドームで、対戦相手は南東北大学野球連盟代表の石巻専修大学だ。右の好投手、菅野投手との対戦について、「とにかく守って勝つ、それだけです」新井監督は冷静に答えた。

 

大学選手権は、リーグ戦とは違い、一回負けたら終わりのトーナメント。そんな一発勝負の状況も、前向きに捉え、ピッチャーには、「トーナメントは投手が有利だ」と話し、励ましてきた。

 

昨年、共栄大学のスタンドには、吹奏楽部とチアリーディングによる華やかな応援があった。

しかし、共栄大学には、吹奏楽部もチアリーディング部もない。「同じ学校法人の共栄学園高校や春日部共栄高校の生徒が協力して応援をしてくれているんです」と新井監督。今回も初戦は自前の声による応援で臨むが、初戦に勝利すると、春日部共栄高校の生徒が応援に駆け付けてくれることが決まっている。共栄大学の初戦突破は、大学だけでなく、共栄学園グループの願いだ。

 

「昨年は初戦で負けてしまい一度も勝てなかったので、今年は一戦必勝で初戦突破を目指し、一試合一試合闘っていく」

新井監督は、力強く意気込みを語った。

 

【和久津 智広主将(写真左)・清水 蓮選手(写真右)インタビュー】

《共栄大学だからこそ、大学野球を続けている選手がいる》
前編でも紹介した通り、共栄大学は礼儀・挨拶について、厳しく指導をされている大学である。現に、今回私たちが野球部のグラウンドを訪れた際も、選手一人ひとりが動作を止めて、身体を向けて心のこもった挨拶をしてくれた。

今までの野球界は、礼儀・挨拶を徹底している=上下関係が厳しいというイメージがあったように思う。しかし、主将の和久津智広選手(浦和実業=4年)と2年生エースの清水蓮選手(樹徳=2年)に部員の上下関係について質問すると、「ほとんどないです」と即答した。

チームの方針は明確である。「“下級生でもやることをきちんとやっていれば、上級生は何も言わない”という方針でやってきました。但し、外部の方に対してや、グラウンド内での礼儀・挨拶などは徹底しています」和久津選手はこう話してくれた。

実際に、2年生エースである清水選手が進路先に共栄大学を選んだのは、このチームの方針が大きく関係していた。「自分は高校時代、最後の大会で負けてしまったとき、もう野球はやめようかなと思い、声をかけていただいた大学も全てお断りしていまいました。でも、高校の監督の勧めで共栄大学の練習に参加し、上下関係があまり無いチームの雰囲気と、新井監督の人柄に惹かれ、入部を決心しました。」 共栄大学だからこそ、清水選手はいま大学野球を続けているのかもしれない。そして、同じように感じ、共栄大学へ入部した選手は他にも多くいるであろう。

《レギュラーが一人もいないチーム》
共栄大学の今年のチームは、“レギュラーは一人もいない”という考え方で、春季リーグ戦を闘ってきた。「選手の入れ替わりが激しく、打順も毎回変わったので、とにかく危機感がありました」和久津選手は当時のチーム状況を語る。

一方、2年生エースである清水選手は、壁にぶつかっていた。「新井監督から“一戦目の先発はお前だ”と言われていたので、一戦目は絶対にとろうと思っていました。ただ、今年は昨年とは違い、いろいろと考えすぎてしまって、思うような投球ができないこともありました。」昨年からエースを任されていた清水選手。その重圧は周りが思うよりもはるかに大きかったのかもしれない。そんなエースの異変を主将の和久津選手も感じとっていたという。「昨年と比べて、調子が良くないということは、感じていましたが、とにかくエースとして信頼していました」

清水選手が不調から抜け出せたのは、4カード目の杏林大学戦後だったという。きっかけは、指揮官 新井監督との面談だ。「新井監督とじっくりお話ができ、気持ちが楽になりました。」清水選手の新井監督への厚い信頼が伺えた。

《部員123名一丸となって、目指した一勝》
昨年、春季リーグ戦で初優勝し、初めて出場した全日本大学野球選手権。当時を振り返り、和久津選手と清水選手は、「試合当日は戸惑いの連続だった」と話した。いつもと違い、アップやキャッチボールができる時間は短く、外野手の和久津選手は「(東京ドームの構造により)フライが全く見えなかった」と話した。

今回の初戦は、6月5日(月)の第一試合、朝9時からの試合だが、二人は「いつも朝練をやっていて、朝は強いので全く問題ありません!とにかく初戦突破を目指して頑張ります!」と力強く答えた。

試合前日の開会式。檀上でチームを代表して意気込みを宣言する和久津選手に声をかけた。少し緊張しているようにも見えたが、笑顔で話してくれた。各大学の主将が終え、共栄大学の番に。

「部員123名一丸となって、一戦必勝で闘います!」

和久津選手は、全国の強豪校の前で、堂々と、そして力強く宣言した。

そして、迎えた試合当日。対石巻専修大学戦。初回、3番伊藤選手がヒットで出塁し、続く4番菅野選手のタイムリー2ベースヒットで1点を先制。しかし、3回に1点を返されてしまい、8回にはタイムリーヒットとエラーなどで5点の大量失点。その後も、流れを引き戻すことはできなかった。

試合後、新井監督は、「2点目を先にとることができていれば」と悔やんだ。

2年連続で全国大会という大舞台に出場した共栄大学。今年も初戦突破という目標は叶わなかったが、この経験は、必ずしや今後の力になるであろう。

共栄大学硬式野球部の今後の益々の活躍に期待したい。

取材にご協力いただきました、共栄大学硬式野球部 新井崇久監督、選手のお二人、ありがとうございました。

【第66回全日本大学野球選手権大会 第1回戦 石巻専修大学戦の様子】

DATA
●共栄大学 硬式野球部

東京新大学野球連盟1部に所属。創部は2002年。

●新井 崇久

春日部共栄高校、日本体育大学卒業

春日部共栄高校コーチ 平成9年-平成11年

共栄大学監督 平成15年-現在

●和久津 智広(4年)浦和実業高校出身 右投右打

●清水 蓮(2年)  樹徳高校出身 右投右打

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