2019年8月23日

 杏林大学硬式野球部は、1984年(昭和59年)に創部。当初は同好会としてスタートしたが、次年度に部へ昇格し、野球部(競技団体)としての一歩を刻む。そして、1987年(昭和62年)に“東京新大学野球連盟”に加盟し、3部からのスタートとなる。1988年(昭和63年)の秋季リーグ戦で優勝するも入替戦に敗れ3部残留となってしまうが、1989年(平成元年)に2季連続で優勝をすると、入替戦にも勝利し2部昇格となる。昇格から7年、2部では上位常連校となり優勝も5度するが1部の壁は厚く、入替戦での敗退が続いてしまう。しかし、迎えた1997年(平成9年)の秋季リーグ戦、8勝1敗1分の好成績で優勝を果たすと、その勢いのまま入替戦も2勝0敗で勝利し、一つの目標であった1部へ初昇格を果たした。

 そこから約10年間、1部で戦い続けるも2007年(平成19年)の秋季リーグ戦にて2部へ降格をしてしまう。しかし、2009年(平成21年)の秋季リーグ戦で再び1部昇格を果たすと、同年には学校より“指定強化部”第1号として認定をされる。“東京新大学野球連盟”には“創価大学”“流通経済大学”“共栄大学”“東京国際大学”と、全国大会でも結果を残している大学が多く、強豪が引き締めあうリーグであるが、杏林大学も1部で戦い続けている実力校である。

 今回は、2003年(平成15年)より監督を務めている荻本監督と選手に、悲願である“1部優勝”に向けての熱い想いを語ってもらった。

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【荻本 有一監督インタビュー】

大分県津久見高校-日本大学

2003年~杏林大学硬式野球部 監督就任

≪環境を言い訳にせず≫

 迎えた春季リーグ戦、最終的には“3勝8敗(5位)”という結果で終わった。荻本監督はこの結果を『妥当な結果だった』という。エースである上野投手に頼らざるを得ない状況であり、二番手以降の投手が育たず苦しい戦いとなってしまった。

 秋に向けての課題は言うまでもなく二番手、三番手の投手に一本立ちしてもらうことであり、それ以外は具体的には無く、更なるレベルアップをすることである。しかし、環境的に難しい部分が多々あるという。一つとして挙げたのが、全体練習や練習時間の確保の難しさだ。グラウンドとキャンパスの距離が遠く、授業がある日だと、“7:30・14:00・16:30”と練習開始時間を決めているが、各時間に10人程度しか選手が集まらず、練習がままならない。また、寮が無いことも大きな部分であり、現状、普段の練習は自主練習がメインとなっている。学校が夏休みに入り、やっと全体練習に入っていけるので、これからの期間を大事にしていかなければならない。

 1部リーグ上位校との壁は厚い。もちろん選手個人の力の差は感じるし、他大学は野球に集中できる環境も杏林大学以上にあるのかもしれない。しかし、今の環境を決して言い訳にはしない。「昔は有る物でやらなければいけない時代があった。今の選手たちにそういった話をしても伝わっているか疑問もあるが、今ある環境の中で、いかに工夫してできるか。また、その中でやるしかないと選手には話しています」と荻本監督は語った。ただ、それを押し付けることはせず、選手の自主性に任せている。

≪打ち勝つ野球を≫

 荻本監督の目指している野球を聞くと意外な答えが返ってきた。「“打ち勝つ野球”ですね。自分がやってきた野球以外のことを教えることはできませんよ。もちろんプロに行くような投手と対戦した時に簡単に打てることはないですが、点を取らないと勝てないですしね。選手も守備練習より打撃練習の方が楽しいでしょう(笑)」。大学の多くが守備に力を入れる中、“打ち勝つ野球”という答えに少々驚いたが、荻本監督の原点は高校時代にあるという。出身である“津久見高校”が打撃のチームであったことが大きく影響している。

≪努力をし、素直さや継続性を≫

 荻本監督は、伸びる選手の性格や要素を「努力できる選手でしょう。自主練習を疎かにしている選手は伸びません。あとは素直さや継続性かなと思います」と語った。荻本監督自身が自主練習で育ってきたこともあり、「打ち勝つ野球と一緒で、自分がやってきた野球以外は教えられませんからね」と。昔はメンバー外の選手はメンバーと同じ練習ができないことも多く、また、監督にアピールできる機会も少なかったので、メンバーに入る為には少ないチャンスを一発でアピールしなければいけなく、自主練習でいかに努力できるかが大事であった。今はある程度、平等に練習の機会を与えているので、自主練習に入れる力も違うし、安心感からなのか危機感が無く、努力が足りない選手が多いと感じる。

 また、選手に指導しても自分にこだわりがあるのか、それを受け入れなかったり、良くなったとしても、時間が経つと元に戻ってしまったりする選手も多いという。「直す気が無いとしか思えませんよ(笑)。続ける勇気であり技量がない」と冗談を交えて語った。3年前に、“上窪闘志”という選手がいた。この時代、創価大学にはプロ野球のドラフト会議で5球団が競合し“ソフトバンクホークス”に入団した、“田中正義”投手がいたが、田中投手からは5割近く打っていたそうだ。「彼は素直に受け入れてくましたし、それを継続できる選手でしたね」と懐かしそうに語った。

 取材当日、“早稲田大学”とのオープン戦であったが、強豪校と試合をするときに、試合までの入り方や動きを見て、良いと思えたものを自分たちにどれだけ取り入れられるか。「必ずしも真似が良いとは思わないし、全てを真似しろという訳ではないが、“見て学ぶこと”“良いと思えたものを素直に受け入れられるか”も大切でありますよね」。いろんなことを吸収し、成長していってほしいと願っている。

≪社会に役立つ人間に≫

 “社会に役立つ人間”に育ってほしい。「納会の時になどによく話すのですが、4年間努力をしただろと。社会に出てまた1年生となる訳だけど、一人前になる為にその努力をしろと。“労を惜しむなよ”とはよく話します」と語った。一人の力で今の自分がいるわけではないし、周りを支えるような人間に育ってほしいと願っている。

≪みんなの力でリーグ戦を≫

 秋のリーグ戦、誰がキーマンとなるのか。荻本監督は、「みんながキーです」ときっぱりと語った。「いろんな方たちにも注目選手は誰かと聞かれますが、“全員です”と答えていますね」。一人に頼ることはしない。全員の力でリーグ戦を戦っていく。

 最後は、「“優勝”を目指して頑張ります」と力強く語り取材は終わった。

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【選手インタビュー】

【左から:上野選手/貝津選手/長谷川選手/高橋主将/佐伯副主将/須藤選手】

【主将:高橋 広海(たかはし ひろみ)選手:4年/ポジション:内野手/右投左打】

出身:神奈川県

出身校:湘南工科大学付属高校

憧れ・好きなプロ野球選手:ダルビッシュ 有選手(シカゴ・カブス)

≪いつから野球を始めましたか?きっかけは何ですか?≫

 僕が野球を始めたのは、小学校3年生のときです。野球を始める前にサッカーをやっていたのですが、友達に誘われて少年野球のチームに行き、1回目の練習で楽しくできたことがきっかけで始めました。野手の僕には、守備の他にも見せ場である、“打席に立ち打つ”という絶対的な仕事があり、打つことが大好きな僕は、すごくワクワクしてしながら自分の打席を待っていたことが印象に残っています。

≪ダルビッシュ有選手のどんなところが好きですか?≫

 僕は内野手でダルビッシュ有選手とポジションは違いますが、野球の凄さだけでなく、影響力のある方で、自分をしっかりと持っている人間性に憧れがあります。

≪なぜ主将になりたいと思いましたか?≫

 毎年、監督さんの指名でキャプテンは決まりますが、今年は僕が自ら『キャプテンをやらせてください』と言いました。その理由として、今までこのチームは組織力があまり無いと思っていて、その様子を3年間見てきた僕は、“自分がチームを変えないといけないな”と感じて、自ら監督さんに『チームを変えさせてください』と、お願いをし、『頑張ってくれよ』と言葉をいただきました。

 実際に主将になり1番に変えたのは、ミーティングの数です。チームとして話し合いをしないと、目標を達成するための道のりも分からないですし、そういった部分を徹底させること、また、チーム全体に再認識させる意味も込めて、週1度は必ず行っています。ミーティングの数を増やしたことで、練習に参加する選手も増えましたし、何のために練習をしているのか、その意図が選手から伝わるようになってきたので、チームも変わってきたと感じています。

≪チームの魅力はどんなところですか?≫

 チーム力だけではなく、個性の強い選手たちが多くいるので、個性のあるチームだと思います。その個性がもっとまとまれば強くなると思っています。

≪春季リーグ戦を振り返ってどうですか?≫

 チームとしてはもっと上を目指さないといけないので、結果には物足りなさもありましたし、納得のいくシーズンではありませんでした。個人の出来としては、目標としていたものは達成できなかったですが、秋につながるシーズンでしたし、決してマイナスとはとらえず、プラスだったと思っています。

≪目標の選手や、今までの監督や先輩などで影響を受けた人は?≫

 中学時代、所属していたクラブチームの監督さんです。監督さんは、野球の技術ももちろんですが、それ以上に“人間性”を成長させてくれましたし、そのような野球以外のお話しもよくされていました。その教えもあって、僕は人とのつながりを大切にしてきたので、今もここまで続けて来られていると思っています。

≪秋に向けての意気込みを!≫

 個人としては、チームの優勝に貢献し、必ずベストナインを取ります。そして、チームとしては、リーグ負けなしで完全制覇を目指し、関東大会で優勝します。

【副主将:佐伯 政紀(さえき まさき)選手:4年/ポジション:外野手/右投左打

出身:東京都

出身校:実践学園高校

憧れ・好きなプロ野球選手:亀井 義行選手(読売ジャイアンツ)

【左:貝津選手/右:佐伯副主将】

【貝津 啓太(かいつ けいた)選手:3年/ポジション:外野手/右投左打】

出身:埼玉県

出身校:市立川口高校

憧れ・好きなプロ野球選手:二岡 智宏氏(富山GRNサンダーバーズ 監督)

≪いつから野球を始めましたか?きっかけは何ですか?≫

【佐伯選手】

 15歳離れた兄がいるのですが、僕が3歳の時に東海大菅生高校に通っている3年生で、その時の兄は、野球に真っ盛りの時期で甲子園にも出場し、応援にもよく行きました。兄のチームメイトやお父さんたちと野球をやっていた思い出があり、気が付けば野球を始めていました。実際に野球を始めて、兄と一緒にプレーをすることはできなかったですが、兄と同じ少年野球のチームに所属したので、楽しい時もありましたが、打てないときは兄と比べられていたので、辛い時もありましたね…(笑)。

【貝津選手】

 幼稚園時代の1番仲がよかった友達のお兄さんが野球をやっていて、友達がお兄さんの影響で野球を始めることになり、僕も一緒になって野球を始めました。少年野球チームに入ったのですが、実家が近所で、チームのコーチでもあった、元読売ジャイアンツにいた石井義人さんのお父さんに野球を教えてもらっていましたね。平日は毎日放課後、友達と遊ぶ時間もなく、学校から帰ってきた後は、すぐ石井さんの所に行き、素振りをしていましたが、全然面白くなかったですし、野球が楽しくなかったです(笑)。1週間の中で唯一楽しみだったのが、土曜日と日曜日でした。その日は石井さんの練習がなく、みんなと野球ができたので…(笑)。 それは冗談としても、野球を始めてとても楽しくて、テレビを見るとしたらプロ野球しか見ていなかったです。今でも野球をやっていて結果がついてくると楽しいですね。プロ野球の観戦をしても、今は楽しいよりも、“目標の選手”という見方に変わりました。

【佐伯選手】

 プロ野球を観戦したら1回現実をみるよね(笑)。

貝津選手】

 現実を見ますね。『なんでこんな簡単に打てるんだろう?』と。外野手として尊敬する選手がイチローさんなのですが、怪我を全くせずに、アスリート選手として自分の体のケアをしっかりとしていて、すぐに怪我をする僕にとっては、プレー以外にもアスリート選手としての意識も尊敬しています。

≪亀井選手・二岡氏のどんなところが好きですか?≫

佐伯選手】

 僕が小学生時代に亀井選手が手首骨折をした時があり、普段はテレビで野球観戦することはあまりないのですが、ある日テレビ観戦をした試合が、亀井選手の試合復帰の日で、その試合でホームランを打った姿を見て、『すごくかっこいいな』と思いました。

貝津選手】

 小学校1年生から野球を僕は始めて、当時の二岡選手の右方向のバッティングがとても好きで、最初右打ちだった僕は二岡選手の真似をずっとやっていました。中学時代に怪我をして左打ちになりましたが、それでもずっと二岡選手を応援していました。

≪副主将は自ら立候補したのですか?≫

佐伯選手】

 僕は去年から副主将を務めていて、高橋と『どうする?』となり、『高橋は全体をまとめるのが上手いから主将やってくれ』と言い、主将になってもらいました。逆に僕は下をまとめる方が得意なので、『何かあったら、俺が下に言うから言ってくれ』と言い、2人で助け合ってやっています。

【貝津選手】

 佐伯さんは、2年生の時から試合に出場しチームの中心にもいて、背中で“先輩”というものを見せてくれる副主将です。2年の春には首位打者を取っていて、振ればヒットの印象が残っています。衝撃でした(笑)。

【佐伯選手】

 自分でも不思議なくらい当たってて、振れば当たるみたいな状態でした(笑)。その時は4割越えでしたね。

≪春季リーグ戦を振り返ってどうですか?≫

佐伯選手】

 打率は3割を超し、出塁率も4割以上ではありましたが、自分の中でバッティングフォームが固まらず、納得のいくバッティングができないままでしたね。今も貝津に教えてもらっていて、『良くはなったかな』と感触はありますが、まだ納得のいくバッティングはできていません。また、これだけヒットを打っていても、打点が0なので、まだまだ課題は多いです。チャンスでは絶対打てません。ただ、ランナーがいなければ絶対打ちます。みたいな状態でしたね(笑)。

【貝津選手】

 僕は打順が下位なのでチャンスは少なかったですが、佐伯さんは、3番とか5番を打っていて、チャンスの場面が多い中での打点0なのでやばいですね(笑)。

【佐伯選手】

 最後の方は6番とかもありましたが、どの打順でもチャンスが回ってくるんですよ(笑)。

【貝津選手】

 僕はリーグ戦開幕1か月前のオープン戦辺りから、レギュラーとして試合に出場し始めて、今回が初めて乗りーグ戦出場でした。チーム内では打率1位の3割3分3厘という結果を残せたのですが、監督さんは1打席で交代させるような結果主義なので、オープン戦からリーグ戦にかけてずっと必死でしたし、いつも、『ここで打たないと代えられる!』という気持ちで打席に立っていました。やっとつかんだレギュラーですし、結果を残すためにも練習はめちゃくちゃしましたね。

 また、練習の他にも、野球選手にとって大切なトレーニングなどを指導してくださる、手塚一志さんの野球塾があるのですが、そこにも通っています。学生野球も大学が最後ですし、上でも続けていきたいので、やれることはしっかりとやって、野球をやり切りたいという思いが強いです。リーグ戦の結果は、今後の自分にとって自信になりましたが、まだワンシーズンしかレギュラーでやっていないので、秋までの約1ヶ月、不安との戦いですし、毎日必死に練習しています。

≪目標の選手や、今までの監督や先輩などで影響を受けた人は?≫

佐伯選手】

 高校時代のトレーナーです。高校2年生の夏にトレーナーとなったのですが、身体のケアや体幹など体の使い方を教えていただいたおかげで、不調だったバッティングの調子が良くなり、夏の大会も調子よく終わりました。今も通っているのですが、首位打者になれたのもその方のおかげだと思っていますし、高校で活躍できず、大学でも野球を続けられていなかったと思います。

【貝津選手】

 具体的な人はいないのですが、僕に関わって頂いた方の影響は受けてきています。その中でも特に影響を受けたのが、“東芝”のチームに練習の参加をさせてもらったことです。社会人野球でもトップレベルにある選手たちと、寮に泊まらしてもらいながら野球を教えてもらったことで、『もっと上手くなりたい』という思いが強くなりましたし、『大学でも絶対に野球をやりたい』と思うようになりました。選手を挙げるのであれば、今のキャプテンである“松本幸一郎さん”です。松本さんは気合がすごくて、ティーバッティングを200球とか連続で叫びながら打つんですよ(笑)。あの“気合い野球”はすごかったです(笑)。

≪秋に向けての意気込みを!≫

【貝津選手】

 いっぱいありますね…(笑)。

佐伯選手】

 ラストシーズンを迎えますが、開幕1ヶ月前にしてバッティングフォームもまだ固まってはいなく、状態は良くないですが、『結果さえ残せたらいいかな』と思っています。レギュラーとして初めて出たリーグ戦でタイトルを取ったので、最後のシーズンでもタイトルを取れたらかっこいいじゃないですか(笑)。なので、結果を残しタイトル、首位打者を取ります!

貝津選手】

 僕はバッティングを監督さんに評価をされて、スタメンで試合に出場させてもらっていたので、秋も打ち続けられるように練習に励みます。また、チームが勝つためにも求められている役割を考えて、監督の期待に応えていきたいです。春に結果は出ていますが、『春だけだったな』と思われないよう、秋も春以上の結果を残せるよう頑張ります。

【上野 祐太郎(うえの ゆうたろう)選手:4年/ポジション:投手/左投左打】

出身:岡山県

出身校:盈進高校

憧れ・好きなプロ野球選手:内海 哲也選手(埼玉西武ライオンズ)

≪いつから野球を始めましたか?きっかけは何ですか?≫

 野球を始めたのは、小学校4年生か5年生のときでした。僕の実家は田舎で、スポーツ活動が盛んでもなく、地元でスポーツをやっている子たちは、ほとんどが野球でしたね。ただ、僕は、小学校2年生のときにソフトボールをやっていたのですが、ソフトボールの監督さんが、少年野球のコーチも務めていたのがきっかけで野球を始めました。野球を始めてみて、中学校、高校、大学と上がる度に野球を辞めたいと思っていましたね(笑)。それでも辞めることなくここまで来ちゃいましたが…。『野球が嫌だな』と思っても、やり始めれば“楽しい”ですし、僕に辞める勇気もなかったので。結局は野球が大好きなんですよね(笑)。やるからには試合に出たいですし、役に立つことなく終わるのも嫌なので頑張ってきました。現在は投手責任者を任されていて、投手陣を引っ張っています。

≪内海選手のどんなところが好きですか?≫

 昔から内海選手のことを応援しています。投球術が優れていて、球はそれほど速くない中でもバッターを抑えているので、参考にもしています。また人柄がいいところも好きですね。

≪春季リーグ戦を振り返ってどうですか?≫

 個人成績だけで言えばキャリアハイでした。ただ、学年が上がるごとに、やらなければならない役割のレベルも上がってくる中で、投手としての成績よりも、試合に勝ちきれなかったところが悔やまれますね。調子がいい時と悪い時がありましたが、『これくらいでいいだろう』という、慢心や甘えが出てしまったシーズンだったので、もっとやれたはずですし、気持ちの面での反省が多かったです。

≪目標の選手や、今までの監督や先輩などで影響を受けた人は?≫

 何人かいまして、一人目が大学の二つ上の投手責任者だった方です。もともとあまり考えることもせず、漠然と野球をやっている感じでしたが、その方のおかげで投手としての引き出しも増えましたし、野球に対するものの考え方や上手くなる為のアプローチの仕方などを教えてくれた先輩なので、一緒にやれた2年間は自分の財産であり、今の自分がいるのもその方のおかげだと思っています。

 二人目は“須藤 誠太”ですね。学年は一つ下ですが、須藤のおかげで良くなりましたし、自分の中では大学野球の大きなキーマンですね。須藤がいなかったどうなっていたんだろうと思うくらい大きな影響を与えてくれています。真面目にやってなさそうな感じで、実は一番チームのことを考えていますし、頼りにしています。この二人との出会いが、高校までは、ただ、がむしゃらに一生懸命やっていただけの自分に、『能力で劣っていても考え方や、打者との駆け引きなどでも抑えることもできる』ということを教えてくれたので、野球に対する見方や考え方を大きく変えてくれました。

≪秋に向けての意気込みを!≫

 勝てる試合は勝ちきっていきたいです。個人的には、ちょっとした気の緩みでの失点が春は多かったので、気持ちの入れ方などを課題としています。秋は“記念大会”で上位3チームが“関東大会”に出場できるので、何とか3位以内に入りたいですし、大学ラストシーズンとなるので頑張るしかないですね。

【長谷川 拓郎(はせがわ たくろう)選手:4年/ポジション:内野手/右投左打】

出身:神奈川県

出身校:藤沢翔陵高校

憧れ・好きなプロ野球選手:宮﨑 敏郎選手(横浜DeNAベイスターズ)

 ≪いつから野球を始めましたか?きっかけは何ですか?≫

 3つ上の兄が野球をやっていたのもあり、僕が物心ついたころから野球をして遊んでいたと思いますが、本格的に始めたのは小学校1年生の時です。野球を始めた頃のことはあまり覚えてないのですが、レギュラーになれた時の嬉しさなどもありますし、結果だけでなく、それまでの過程の中で得るもの多く、充実した野球生活を過ごせているので、そういったところにやりがいを感じ、現在も野球を続けています。

≪宮﨑選手のどんなところが好きですか?≫

 もともとベイスターズが好きなのですが、その中でも“宮﨑選手”が好きです。実は僕たちがよく食事に行く、“さいとう”という定食屋さんがあるのですが、そのお店に、宮﨑選手が社会人のセガサミー時代によく食べに来ていたみたいです。お店に行くと、店主から宮﨑選手のエピソードを聞くことも多く、勝手に親密な感じに思っています(笑)。 それからは、宮﨑選手のことを応援していて、去年は、首位打者もとりましたし憧れであり応援している選です。

≪春季リーグ戦を振り返ってどうですか?≫

 春季リーグ戦前のキャンプで捻挫をしてしまい、開幕戦に間に合わず試合に出場できませんでした。2カード目からは出場しましたが、開幕戦出場を逃してしまい、春季リーグ戦全試合出場できなかったことが、すごく心残りがあります。『もっとチームに貢献したかった』と、悔しく歯がゆい思いがあったので、秋は開幕戦から最終戦まで全試合出場し、チームの勝利、そして“関東大会出場”に貢献できるように頑張ります。

≪目標の選手や、今までの監督や先輩などで影響を受けた人は?≫

 中学校時代のクラブチームのチームメイトたちですね。全国優勝をした時に、僕はレギュラーではなかったのですが、主将を務めていました。体は小さかったのですが、元気だけが取り柄だったので(笑)。サードコーチャーをしていましたね。そのチームの同級生に、現在、中日ドラゴンズにいる“小笠原選手”がいたのですが、その他にも高校や大学で活躍している同級生も多く、そういった活躍や野球に熱くなれる姿を見ると、僕も頑張らなければと、いい刺激をもらっています。

≪秋に向けての意気込みを!≫

 1年生の秋から、試合に出場させてもらっていたんですが、まだ一度もタイトルを取ったことがないので、最後はタイトルを取ります。また、関東大会出場を決めて、少しでも長くみんなと野球をできるように頑張ります。

【須藤 誠太(すとう せいた)選手:3年/ポジション:捕手/右投右打】

出身:栃木県

出身校:佐野日本大学高校

好きな芸能人:新木 優子さん(女優)

≪いつから野球を始めましたか?きっかけは何ですか?≫

 僕が小学1年生の時に、お父さんが野球チームのコーチをやっていた影響で野球を始めました。また、同じチームでお母さんがスコアを付けていていたので、家族みんな練習の時から一緒で、怒られてばかりだったので嫌でしたね(笑)。お父さんと弟は野球、お母さんはソフトボールをやっていた野球一家ということもあり、いろいろと辛かったです…(笑)。でも、家族みんなで試合に挑み、勝つととても嬉しくて喜んでいました。

≪新木 優子さんのどんなところが好きですか?≫

 めっちゃ可愛いです…(笑)。ド・ストライクです!!

≪春季リーグ戦を振り返ってどうですか?≫

 春季リーグ戦でチームとしての課題はたくさん見つかりましたが、個人としては、最近の中では、いい試合をたくさんできたので良かったかなと感じました。打撃の面では、4番としてあまり打てずチームに貢献できなかったところが反省点です。なんか、マジで打てなかったです…(笑)。秋季リーグ戦では4番としてしっかりと打ってチームの勝利に繋げます。

≪目標の選手や、今までの監督や先輩などで影響を受けた人は?≫

 高校時代の監督さんです。監督さんに“上で野球やるための心構え”を教えて頂き、監督さんがよく言葉にしていた『犠牲と感謝』の気持ちを持って野球に励んでいます。

≪秋に向けての意気込みを!≫

 チームの目標である関東大会に出場し、優勝をすること。個人としては、社会人でも野球を続けていきたいので、そのためにも個人成績を上げ、首位打者、ベストナインをとれるように頑張ります。

 着実に力を付けてきている杏林大学硬式野球部。ぜひ皆様も注目して下さい。今後の益々の活躍に期待しています。

 取材にご協力頂きました、杏林大学硬式野球部の荻本監督、選手の皆様ありがとうございました。また、取材日程の調整などをして頂いた、峯岡主務にも併せてお礼申し上げます。

【前中央:高橋主将/左から:貝津選手/長谷川選手/須藤選手/佐伯副主将/上野選手】

●杏林大学 硬式野球部 創部は1984年(昭和59年)

 東京新大学野球連盟1部に所属 ※2019年8月現在

 ≪ホームページ≫

https://kyorin-bbc.jimdo.com/

≪取材日 2019年8月3日≫

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※情報は投稿時のものです。商品内容の変更や、地域情報等が変わる場合がございますのでご了承ください。

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