1959年に創部し、同年に“東都大学野球連盟”に加盟。そして1974年秋、1部へ初昇格を果たすも、翌年の春に2部へ降格してしまう。1977年春、1部に再度昇格をすると、1979年秋、ついに悲願でもあった1部優勝を成し遂げた。しかし、翌年の春に再び2部へ降格してしまった。 1部へ昇格をするも、“戦国東都”とも呼ばれる過酷な環境の中、なかなか定着できない歴史が続いており、1部定着、そして日本一を目指す。
【辻 俊哉監督インタビュー】
≪巡り合った、母校への復帰!!≫
母校へのコーチ復帰は巡り合ったもので、必然だったのかもしれない。
士舘大学時代、2001年のドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから指名を受け入団。その後オリックス・バファローズと渡り歩き、2013年に引退。そのタイミングで、母校から、『前任のコーチが異動となったので、コーチとして戻らないか』と話しが来た。
2014年4月に就任をし、コーチ業がスタート。そして、同年の12月に監督に抜擢された。
指導者に転身をし、わずか一年たたずに監督就任。その時の心境を辻監督はこう語った。「やるからには、将来的に監督業を務めたいと思っていたし、自分の中では3年後くらいにと考えていた。当時は経営論や経済論、リーダーシップについて、セミナーに出たり書籍を購入したり、組織のトップになる為の勉強をしていた最中でした。なので、まさかこんなに早くにと、戸惑いはありましたね。」
大学野球の難しさも感じている。高校と違い、全選手が集まることが難しく、限られた時間の中でいかにまとまりを作り、徹底力をあげるか。
どのようにしたら、リーグ戦に向けてチームが一体となり、勢いよく試合に入っていけるか、日々勉強中である。
≪選手には愛情を持って≫
元プロ野球選手という肩書があるが故に周りからの期待は高いかもしれない。しかし、辻監督は、「そこに対してプレッシャーは無いですね。でも、どうしても偏見の目で見られることもあるので、そういった部分での苦労はあります。」と語る。
選手にも元プロだからというのは関係ないという。愛情を持って接しないと応えてくれないし、選手も一人の人間として感情を持っている。自分の子供ではないけれど、そのくらいの気持ちを持って接しないと聞いてくれない。だからこそ指導者も適当なことはできない。辻監督は、「今は規則正しい生活をしていますよ(笑)。」と語った。
分からないことは選手にも素直に聞き、同じ目線で接するよう心掛けている。
プロ野球選手にもなり、指導者としての経験もある。だから、選手よりは少しだけ野球を知っている。それでも分からないものは分からない。分からないものは聞くようにし、選手にも疑問があれば聞いてくれと伝えている。それでチームが強くなるのであれば、自分の意見を押し付けることはしない。
NPB審判になった卒業生がいて、現在もNPB審判を目指している選手がいる。ある時に分からないことがあり、辻監督はその選手に問いかけた。「選手に聞いたら、『第何条何項の~』と言ってきて、そんなことはいいからルールはどうなの?って聞いたんです(笑)。」と笑いながら語った。
このような監督の姿勢が、選手からも意見を言いやすい雰囲気を作っているのであろう。
それでも、初めは何でこんなこともできないのだろうと思う事もあった。しかし、今は選手が可愛くて仕方がないという。「一生懸命頑張る選手も増えてきましたし、ほんとに選手が可愛いんです。なんとか勝たしてやりたいんですよ。」と語り、取材中にグラウンドでは選手が練習をしていたが、時折選手を見る辻監督の眼差しも温かった。
そんな監督やコーチの想いが通じたのか、近年は全選手お金を出し合って、監督・コーチの誕生日にプレゼントをしてくれるようになった。「昨年はノックバットで今年は磁気ネックレスをプレゼントされたんです。プレゼントされると、選手に返すのが大変なんですけどね(笑)。」辻監督は嬉しそうに語った。
良好な関係が伺えるエピソードである。
≪当たり前を当たり前に≫
辻監督の野球のモットーは“簡単なことを丁寧に”だ。野球だけではなく、社会に出ても当たり前のことができないと非難される。それが出来なければ叱ることもある。「例えば、自分の家や部屋にゴミが落ちていたら拾いますよね。じゃあ、このグラウンドにゴミが落ちていた時になんで拾わないの。」と、当たり前のことができなければ、厳しい言葉・態度で接する。
選手にはこうも伝えた。「私を含めた、チーム全員の人間育成をみんなでしようと。」
野球も同じことである。27個のアウトを一つもミスなくとればゲームに勝てる。来たフライを取る。ゴロをしっかりと取って投げる。それしかできないのだから“当たり前を当たり前に”“簡単なことを丁寧に”をいかにできるかを徹底させている。
野球にゴールは無いが、“当たり前を当たり前に”できる集団をつくることが監督としての仕事だと考えている。
≪伸びる選手の要素≫
一生懸命頑張る事は最低限の要素である。でもそれだけでは伸びない。感性を持ち、周りを見ることができる力も必要。
野球は好きだけど練習は嫌いな選手や、自己勝手な選手は伸びないし試合では使わない。そのような選手を起用すればチームが衰退する。「チーム競技として、人に合わせ、チームの事を考えられることに長けている選手は伸びる。物が良くても自分の成長だけの為に動いている選手は、いくら練習しても伸びることは無い。」と熱く語った。
≪リーダーシップをとれる選手の育成≫
国士舘大学の副将は3年生も務める。この狙いを辻監督はこう語った。「リーダーシップをとれる人間が今の世の中に少なくなってきたと思う。企業もレアケースはあるにせよ、経験を積んでから課長、部長と昇格していきますよね。だから4年生になって役職を付けても遅いんです。3年生の時から責任を与えておかないといけない。」
名ばかりの主将や副将は要らない。もし、主将が不在になった時にチームをまとめるのは誰か。そういった部分を考え、本当のリーダーシップをとれる人材育成も必要である。
今年の4年生の副将は試合に出るようなメンバーではない。しかし誰よりも練習をするし怒ることもできる。そんな人材だからだろう、狭き門の企業に内定が決まった。
≪勝負勘や考える力を≫
秋季リーグ戦は初戦の結果次第で順位が決まるであろう。もちろん、力の差はそこまでは無いし、勝てない相手でもない。ただ、対相手がいた時の勝負勘というものがまだ足りない。
選手のポテンシャルはあるし、“打つ”“投げる”“走る”の力もある。しかし、点差やインニングなどゲーム状況の中で考えて動ける選手がいない。そのシチュエーションの中でどうすべきか、どのサインが来るのかなどの予測や想像など、考える力を持っている選手が少ない為、そういった部分を意識させている段階である。
辻監督は秋季リーグ戦に向けてこう語った。「いい球を投げる、いい打球を打つは自己満足である。勝つためにはどうあるべきなのか。そういった勝負の中での感性や考える力がもっと成長し理解が出来れば、おのずと良い結果が得られるはずである。」
打てない時にどうすれば点が取れるのか、どうすれば負けないのか。調子が悪い時にどう抑えるのか、どう塁に出るのか。
勝負勘であり、考える力を秋季リーグ戦までに成長させていくことをテーマに日々取り組んでいる。
【丸山 雅史選手(主将)・椎野 新選手インタビュー】
[丸山主将]
[椎野選手]
≪投打が噛み合わなかった、春季リーグ戦≫
昨年の秋季リーグ戦、国士舘大学は2部優勝を果たす。残念ながら入れ替え戦で負けはしてしまったものの、この春季リーグ戦も2季連続での優勝を目指していた。
しかし、オープン戦を通じてなかなか勝つことができず、不安を抱えてのリーグ戦入りだったと二人は語った。そして、その不安は現実となり2勝9敗の6位という厳しい結果で終わった。
丸山 雅志主将(星稜=4年)は、「オープン戦では良い試合は多くあっても、勝ちきることが出来なく、“勝ち癖”を付けられなかった部分に不安要素はありました。」と語れば、椎野 新選手(村上桜ヶ丘=4年)も、「負けが多く、勝てるイメージができにくかった。」と語った。
この結果の要因はいくつかある。先制点が取れず、追いかけるゲームが多かったこと。1戦目を取ることができず、勢いをつけられなかったこと。1点差で落とした試合も多く接戦での弱さもあった。
もちろんミスもあった。勝負所での四球、バントミスや数字に表れないエラーなど。そういったミスが点数につながり、敗因となってしまった。
そんな中でも、とにかく投打が噛み合わなかった。椎野選手は、「先制点を取られることが多く、チームに良い流れを与えられなかった。」と語り、丸山主将も、「先制点を取ってやることができず、申し訳なかった。先制点を取れていれば、椎野はもっと楽に投げられていたと思います。」と語る。
オープン戦とリーグ戦を通じて、二人の不安や想いは共通していた。
≪チームからの期待と、チームへの期待≫
辻監督やコーチからは、将来も含め指導してもらい、期待を感じている。
丸山主将は、3年生の時に副将を務めていた。それまでは、自分のことばかりで周りが見えていなかったが、副将、そして主将を経験する中で、周りを見ることや気を配ることができるようになった。
リーダーシップの面でも成長した丸山主将への、監督・チームメイトからの信頼や期待は高い。
椎野選手は、対戦カードの第1戦目はすべて先発を任された。理想の投手像というのは、“その日の調子に関わらず、チームを勝たせられる投手”である。チームのエースとして、調子が悪いなりにゲームを作り、チームを勝利に結び付けることを理想とする。
現在の主力メンバーには3年生と2年生が多い。特に昨年優勝の原動力となった3年生メンバーに、丸山主将は期待する。しかし、春季リーグ戦、主力メンバーに驕りがあったわけではないが、調子が上がらず、なかなか結果が出ない。それがチームの負けにもつながった。
椎野選手も3年生の投手に期待している。練習中のある選手を指し、「彼は来年のエース候補です。怪我で投げられていなかったのですが、やっと治ったところなんです。一年生の時は体も細かったのですが、ウエイトも頑張って体も大きくなりましたし、スピードも一番早い投手です。コントロールは悪いですが(笑)。」冗談を交えながらも、頼もしそうに語った。
3年生だけに頼るつもりはない。しかし、3年生たちの力は必要であり、より一層の奮起を期待している。
≪秋季リーグ戦に向けての課題や抱負≫
春季リーグ戦では、球際の弱さであり、勝負弱さがあった。特に勝負所で自信を持ってプレーができていなく、そういった精神的な弱さを丸山主将は感じていた。また、自己犠牲やチームプレーの意識も低い。どんな形でも進塁させる打撃や送りバント、そして、2死からでも簡単にアウトにならず、粘りのある攻撃。そういった事ができず相手にプレッシャーを与えることができなかった。
特に課題としているのが、バントやエンドランなどの小技の成功率を上げること、自信を持ってプレーできるようにすることである。チームの課題としてその意識を高めるため、練習中は常に声を掛け合い、練習後のミーティング回数も増やした。定期的にミーティングをすることにより、現在のチーム状況を把握し、今後どうしていくべきなのかをチームとして共有することができている。
課題克服の為、バッティングや守備練習では、数を多くこなし自信を付ける。そして、漠然と打つ、守るという事はせず、その都度に場面を想定し、常に緊張感を持ち、プレッシャーを掛けながら、“無駄な一球を無くす”ことを意識して取り組んでいる。
丸山主将は、「このような取り組みをして結果が伴うかは分からない。しかし、そこは信じてやり続けるだけです。」と語った。
椎野選手は、現在ウェイトトレーニングとランニングを中心に体力強化に努める一方、技術的な向上にも取り組んでいる。
自分自身の強みと課題をこう語る。「自分の武器はコントロールです。どんなカウントでも、どんな球種でもストライクを取る自信はありますが、変化球でストライクを取れることが強みです。ただ、2ストライクまで追い込むことができても、そこから打たれて失点することが多かったので、特に変化球の精度を上げ、最後に打ち取る球が必要です。」
最後に秋季リーグ戦に向けての抱負を、「チームとしての目標は、優勝し入れ替え戦にも勝ち1部に昇格する。これだけです。個人的な数字を上げるのであれば、打率は3割以上で、チームの勝利に貢献するプレーをするだけです。」と丸山主将は語り、「春に負けたチームにはすべて勝ちます。」と椎野選手も力強く語った。
国士舘大学硬式野球部の1部復帰を期待しないではいられない。今後の益々の活躍に期待しています。
取材にご協力頂きました、国士舘大学硬式野球部 辻監督、丸山主将、椎野選手、ありがとうございました。また、取材日程の調整などをして頂いた、矢吹主務にも併せてお礼申し上げます。
DATA
●国士舘大学 硬式野球部 創部は1959年(昭和34年)
東都大学野球連盟2部に所属 ※2017年8月現在
≪ホームページ≫
https://kokushikanunivbase.wixsite.com/kokushikan
≪記録≫
・1部リーグ 優勝回数 1回
・2部リーグ 優勝回数 18回
●辻 俊哉(つじ としや)
山梨県立甲府工業高校(甲子園出場)-国士舘大学-千葉ロッテマリーンズ-オリックス・バファローズ
主に捕手としてプレー
2014年4月~国士舘大学 コーチ就任
2014年12月~国士舘大学 監督就任
●丸山 雅史(21世紀アジア4年)星稜高校出身 内野手(右投右打)
●椎野 新 (21世紀アジア4年)村上桜ケ丘高校出身 投手 (左投左打)
≪主な出身者≫
・古城 茂幸(日本ハムファイターズ-元読売ジャイアンツ)
・紺田 敏正(日本ハムファイターズ-読売ジャイアンツ-北海道日本ハムファイターズ-北海道日本ハムファイターズ コーチ)
・小松 聖 (JR九州-オリックス・バファローズ-オリックス・バファローズ コーチ)
・岩崎 優 (阪神タイガース)
・屋宜 照悟(JX-ENEOS-北海道日本ハムファイターズ-東京ヤクルトスワローズ)など
※情報は投稿時のものです。商品内容の変更や、地域情報等が変わる場合がございますのでご了承ください。